shaper114’s diary

シャーペン114@shaper114 スパロボ、サモンナイト、蒼穹のファフナー、FGO。 群像劇が好きです。 連想ゲームばかりしてて脈絡ないです。

マークゴルゴはいなくなった

○マークゴルゴは存在した。が、もういません。

 遠見真矢=マークジーベンとは、マークゴルゴです。
 ゴルゴとは、「Gorgon」の意である。つまり怪物のこと。
 ギリシャ神話にはメドゥーサという、髪が蛇になっている醜女の怪物がおりました。
 ゴルゴン三姉妹の末妹です。
 元はアテナ女神以上と驕ってしまうほどの美貌を持っていたそうですが、そのせいでアテナに呪われたそうな。不憫。
 ゴルゴンの眼が見たものは石になってしまうといいいます。
 最期には、英雄ペルセウスに討ち取られて死んでしまいました。
 
 見たものを、行動不能に陥れる邪視を持つもの。
 数多の蛇を髪として同時にものを視る能力を持った怪物。
 誰かの戦士としての姿に似てますね。
 そう。マークルゴルゴ、もとい、マークジーベン、つまり遠見真矢の話をこれからします。
 遠見真矢の、これからの話もします。
 
 
○本記事の主題について また注意点について
 
 ゴルゴンの邪視とペルセウスとの戦い、の再話が本作であったことを一つ目のテーマ、
 そして遠見真矢がどうなったのか、について論じていきたいと思います。
 
 ただし、本記事(および別記事に)において、それはその時の理解や解釈であり、
 今後および以前においての私の意見と完全な同一性の保持がされているとは限りません。
 
 なお、本稿においては、マークゴルゴの「ゴルゴ」とは「かの著名なスナイパー」のことではなく、
 怪物ゴルゴンのことである、という仮定のもとで進めます。
 
 “メドゥーサ”と表記した場合には怪物ゴルゴンのことを指し、
 “メデューサ”と表記した場合にはマークアハト/ノインに搭載されている砲撃装置のことを指すことを注記しておきます。
 また、動画のスクリーンショットdアニメストアから引用させていただきました。
 
 筆者は「蒼穹のファフナー EXODUS」の円盤所収のドラマCD「THE FOLLOWER」および「THE FOLLOWER 2」は拝聴しておりません。
 また、放送当時~以後にあったと思われる、冲方丁をはじめとしたスタッフのインタビューなども、殆ど拝読、参照いたしておりません。。
 そのため、スタッフおよび外伝における解釈などの全てを網羅・理解しておらず、それらが伝えるものと本記事が矛盾することもあると思います。
 
 話題・章の区切りには「××× ××× ×××」の記号を入れております。
 
 誠に勝手とは思いますが、ご了承いただければ幸いです。
 
 それでは、始めます。
 
××× ××× ×××
 
 
○遠見先輩マジマークゴルゴ
 
 「見た、撃った、当てた、落とした」、と見ることを本質とした真矢による狙撃能力は、もはや呪いめいて敵を穿ちます。敵機はさながらゴルゴンの邪視によって石にされたかのように、戦闘力を奪われて脱落していきます。真矢が発現したSDPにおいては、同時多重ロックオンをしていましたが、これはゴルゴンの蛇髪が複数同時に敵をにらむことの寓喩であります。
 
マークジーベン(ノートゥングモデル) 
当時はその冷徹な狙撃姿勢と卓抜した能力からゴ○ゴ13にあやかったネタでしかありませんでしたが……
 
マークジーベン(エインヘリヤルモデル)
真矢の存在と無の力であるSDPを十二分に発揮、いや表現するマシーン。
真矢のもう一つの肉体、接続機器、延長部。
真矢を肯定し/否定する器。
 
 
 
アイ「誰も死んでない……? 殺す気はないと?」
 真矢の狙撃による撃墜の本質は、「無力化」であり「石化」に等しいものなので、その通りですね。
 
 このあたりのモチーフ「力を奪う怪物」をもてあそぶと、SDPによる無力化/石化能力者・遠見真矢が、珪素生命体フェストゥムと決戦時に干戈を交えなかったのも、必然な気がします。
 真矢はこの時点では怪物(メドゥーサ)となっているわけであります。そして怪物とは、人と戦うのが常です。
 フェストゥムから戦闘力を奪うことは、ほぼ不可能というのもありますしね。土を石に変えたところで、それの害意が損なわれるということもないでしょう。
 
 真矢が「自身の存在としての真価(SDP)」を発揮したときには、その敵なるものは既にフェストゥムではなく人間となっていた、というのは、いかにも皮肉っぽいところです。これは、23話の真矢がヘスターにした宣言とも通じるところがあるかと。
 
 ちなみに、「ジーベンにメデゥーサが搭載されていれば完璧だった」という思いつきがあったりもしましたが、あらためて考えると、考えなくてもいいところだと思いました。
 真矢のSDPの本質が「敵を無力化/石化/置物化すること」だとすれば、兵装メデゥーサの火力は過剰に過ぎますから。
 
××× ××× ×××
 
○遠見家=ゴルゴン三姉妹
 ところで、年若く見える千鶴、弓子、真矢の三人が並ぶと、さながら“三姉妹”のようですが、
こう見ると遠見家はホント美人揃いの一家ですね。
このカットなど、どちらが年上かわからないところがある 千鶴さんマジ不老
 
 つまりこの三人は「ゴルゴン三姉妹」である、という同然があるのではないか、と思いました。ちなみにペルセウスと相対したのは末女メドゥーサでした。三人並べば真矢は末妹に見えると思います。実際末っ子ですし。この点を意識すると、真矢にはメドゥーサ性が多少はあると言えると思いました。本記事のスタート地点の一つですね。
メドゥーサ (ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ/画、1595-1596) wikipediaより
真矢とは似ても似つかぬ怪物ぶり


 ゴルゴン三姉妹ですが、末妹メドゥーサを除く二人の姉は不老不死だったといいます。
 いつまでも年若く見える=不老の暗喩を持つ遠見千鶴と「長女ステンノー(強い女、の意)」との重なり、一度死にながらも蘇った=不死の明喩を示す日野弓子と「次女エウリュアレ(遠くへ行く女、彷徨う女、の意)」との重なりなど、なにか考えさせられる点が色々とあると思います。
 
 ちなみに真矢と対応させたメドゥーサの名の意味は「女支配者、王妃、女王」などでしたが、個人的にはその印象がないな、という気がします。まあもともとが牽強付会なんですが。
 もちろん、これをタロットの女帝女司祭のほうに展開させていけば、それなりの示唆は得られるでしょうが、本題からやや外れた知識遊び・言葉遊びがベースになる以上、あまり触れるのは得策ではありません。なので話はここまでにしようと思います。タロット遊びは危険です。真矢のジーベン(七番機)がⅦ「戦車」と関連付けられるところとか。
 
 ここらで、ゴルゴン自体への言及と説明は終えたいと思います。
 
××× ××× ×××
 
○ゴルゴンの末女・メドゥーサを殺した英雄ペルセウス
 
 
 さて、本筋に戻ろうと思います。
 真矢=ゴルゴン/メドゥーサに相対するのは、ギリシャ神話からこっちペルセウスであります。
 ペルセウスは「見たものを石に変えるメドゥーサ退治」、「天を支えるアトラス殺し」、エチオピアの王女とのロマンス、など中々ヒロイックな英雄です。
 思えばペルセウス中隊のネーミングがどこから来ているのか(それはアルゴス小隊もそうだが)は本編の話だけだと不透明なところがあると思いますが、本記事がなんらかの啓示を助けることができれば幸いです。
 
 とにもかくにも、ペルセウスが必要です。
 となるとやはりペルセウス中隊から参照するのがいいでしょう。
 しかしペルセウス中隊は完全に壊滅した部隊であり、生き残りはミツヒロ・アイ・ビリーの三人。ならば彼らが候補となりますが、この時点ではアイは実際には死んでおり、ミツヒロも人間やめちゃっていることもあるので除外。よって兄を殺された因縁もあり、ペルセウスの役は同中隊の生き残りであるビリーに担わされることになります。
ビリーが大事にしていたコインの表象はアテナ女神ですが、アテナはメドゥーサと因縁深く、それの退治に多大な助力をした女神。既に登場した時から、ビリーの運命は決まっていたのかもしれません。
 
かくして因果的にも象徴的にもペルセウスを任じられたビリーは、邪視を持つゴルゴン・遠見真矢と相対します。
しかし彼にはハルペーの鎌もよく磨かれた盾もない。助けてくれる戦女神といえば復讐に燃えて正気を半ば失ったキースだけ。それどころか、当人自体が動機に陶酔することすら出来ていない。ペルセウスとして失格であります。また、ゴルゴン・メドゥーサたる真矢も、彼を憎むどころか救わんとしていた。ああ、支離滅裂。
 
 
 英雄ペルセウスの役を託されたビリーは、復讐に迷うビリー・モーガンでしかない。またゴーゴンのメドゥーサ役の真矢は、徹底してペルセウスを救わんとする遠見真矢でした。この支離滅裂は、もはやありえた神話を成り立たせることはなかった。
 実際に、キースと二人がかりであるはずだった優位性は、一瞬にして覆され、それどころか命を助けられる始末だったのが、真矢とビリーのファフナー戦の顛末です。
(同時に、真矢がその最後の最後まで、命を助けることにファフナーを用いたことは、記しておかねばなりません)
 
○果たされなかったペルセウスとメドゥーサの相克
 
マークジーベンから降り、己の象徴である眼/瞼=魔力を封じ、真矢はビリーを受容し、銃弾を待ち構える。
 
穿つことを許されたはずのビリーの眼には、涙。
瞠目していた真矢はこの涙を見ただろうか?
 
 
だが神話のなぞりは既に破綻しており、人間・ビリーと人間・真矢の相対は、やはり人である溝口恭介の介入を許すことになる。神話は明確に完膚なきまでに頓挫する。
 
 
結果として、ペルセウスを全うできなかったビリーの亡骸と、それを慈しむゴルゴン・真矢の二人が残される。
 
神話の再話は失敗に終わった。
だから、そこには人間だけが遺される。
だが、遠見真矢は人間だろうか?
 
××× ××× ×××
 
○『誰が遠見真矢の髪を切ったか』
 
 
さて、ここまで述べたことを整理すると次のようになります。ついでに内情もぶちまけちゃいます。
 
遠見真矢にはマークゴルゴという視聴者によるあだ名があったが、それについて与太話をこねくり回してみようと思った。
 
・マークジーベンとはマークゴルゴである。それは「MK.Gorgon」と書く。
 機体特性とSDPによって、真矢の認識能力を基礎とした狙撃能力を
 「見た、撃った、当たった、落とした」という自動的な・必殺の呪いめいたものへと昇華している。
 さながらギリシャ神話のゴルゴンが持つ「石化の邪視」のように。
 
・極まったパイロット能力とSDPの相乗効果は、真矢を「MK.Gorgon」へと化生させた。SDPの複眼は髪から数多生えた蛇の眼のそれであり、狙撃能力による不致死の攻撃はさながら石化のようである。
 
マークジーベンとは、ファフナーという真矢の肉体と直結した銃であると同時に、真矢に魔力(SDP)を備えさせる蛇髪/かつら/外部装置である。髪は古来から女性の霊力の源であり、かつらはそれを補強する魔術的道具でありました。
 よって真矢とファフナーの関係性において、機械(コード)の塊であるファフナーを、真矢の髪と見做すことは、さほどおかしくないと思います。ファフナーパイロットの延長にありますしね。
 

 といったところです。ここからが、本題になります。というか、与太話をしているうちに気付いたテーマの発表であります。最初っからテーマがあったわけではないのがいつもの悪い癖!


重要なレイアウトである。
 
ファフナーから離れて歩く真矢の先には…… そして遠くで根付いたシュリーナガルミールの根本には、今だれが存在しているか? 真矢が足を進める先の世界には、なにがあるか?
 
美羽に近づこうとし、しかし血塗れの自分を負い目に思ってか、歩みを止める真矢
 
 短時間のうちに、真矢のドラマはテンポよく進みました。
 正直、もっといろんなものを描写してほしかったところですが、むしろ大群像劇の最終盤に、これだけ一キャラクターがフューチャーされたのですから、文句の言いようがない。ヒロインだけどな! 
 まあ、真矢はEXOにおける第三の主人公という側面のほうが大きいと思います。そのテーマが延長性を保ったまま、つまり続きを予感させながらEDを迎えたことといい。
 とはいえ。
 今回この記事を書いていることで気づいたことですが、真矢のドラマはEXO26話の時点である程度決着がついたと思えました。
 
 26話のビリーを介した神話の再話によって、真矢に何がもたらされたか?
 それは、ファフナーとの離別――切断である。
 
 
○真矢にもたらされる切断。一人の人間であることの祝福。
 
 真矢とビリーの決着の前兆にある、「マークジーベンの乗り捨て」。これは、切断=散髪のモチーフである。
 
歩いていく真矢――マークジーベンから離れていく
 
 真矢は、呪いめいたSDPを担う、ゴルゴンの蛇髪/鬘/外部装置といえるマークジーベンを乗り捨てました。これは切断=散髪のモチーフです。真矢とファフナー・マークジーベンの決別。
 
 つまり、真矢が愛した“あの二人”がしたことの再話であります。
18話。総士が一騎の髪(生命の一部)を“切る”ことで、かえって一騎を此岸へと結びつけたことと同じことが、真矢にもたらされる。
当然のことながら、髪を切るのは自力ではなし得ない。誰かによって施されるものである。(それは祝福に常に似ている)
では、誰が行うのか。本編をご鑑賞された方なら、もうお気づきのことだと思います。
 
 
真矢は美羽に触れないようにする。血塗れだから、人殺しだから、怪物だから、ファフナーだから、ゴルゴンだから。
 
しかし美羽はその躊躇いを超えてくる。家族だから。真矢が大事だから。皆を守ってくれたから。愛しているから。
弓子のように、エメリーのように、――見知らぬ父のように 想うべき人をちゃんと想うために。大事にするために。
 
 このとき、真矢にもまた、「蒼穹のファフナー」という作品の根幹で光るもの・が与えられたのです。それがファフナーとの断絶です。ゴルゴンとしての自分の髪を切り取ってもらうことです。存在の一部を切り取ってもらうことは、傷つけられることのシノニムなのです。
 
 かつて切断を選んだ一騎に「似合うよ」と伝えたように、今度は真矢にそれがもたらされた。いかにも「蒼穹のファフナー」らしい、因果のめぐり、反復と変化・矛盾と止揚のエッセンスではありませんか。
 
「みんなを守ってくれて、ありがとう」と、血塗れの真矢を抱きしめる美羽には、そんな包容力と切断力があった。


 
己を世界の外にいる怪物として全うさせようとした真矢は、世界の側に存在する美羽に抱きとめられる。
真矢は邪視以外に、眼が生み出すもの“涙”をようやく流す。
 
真矢は、ただ美羽にすがって涙する。
それで、この話はすべておしまい。すべてです。
 
○終わりにかえて
 ファフナーに同化してマークジーベンと成り、視聴者からはマークゴルゴなどと呼ばれ、同じ人間からはDアイランドの死神とまで呼ばれるようになった真矢は、それでもファフナーを切り捨てることが出来た。
 さながら、ゴルゴンがその蛇髪を散髪することで、ただの女になれた――という嬉しくて悲しい物語があったかのように。
 これは、19話で自身が一騎へもたらした『「散髪という傷のシノニム」に対する肯定』と同心円を描くものです。
19話より。筆者が本編で最も尊いと感じるシーンがここ。
「似合うよ」というたった一言で、一騎の不安は吹き飛び、世界は肯定に満ち溢れる。
それは祝福にほかならない。
祝福とは、その存在の様を愛しますという宣言を与えること。
 
 蒼穹のファフナーは、痛みと傷でさえも、祝福へと成りうることを歌い続けてきた作品だと、個人的には思っています。
 それはニーチェが言うところの運命愛に他ならないし、万人に究極の痛みと克己を求める世界観であって、厳しい話です。とても。
 はたしてどれだけの人が、自分の人生につきまとう痛みと悲しみの全てを肯定し、それを踏まえた先の人生に、あらためてイエスと言えるだろうか。心の底から?
 真壁一騎だろうと、皆城総士だろうと、真壁史彦や真壁紅音、皆城織姫たちでさえ、それにつきまとう痛みと悲しみと不安に打ち勝つのは難しいかった。
 そして、それでもいいのだ。ただそれと和解することを試み続けるなら。それと向き合うことから逃げなければ。痛みがあったことを忘れないのならば。
 しかし遠見真矢は、肉体的には傷つくことが出来ず、辱められようと痛みを圧し殺し、なんでもないように振る舞った。それが出来る強さを持ってしまっていた。それは嘘だし、だから怪物になってしまった。命を代価に交渉を迫り、機械のように・呪いのように敵を打ち払うものになってしまった。
 だが、もう真矢はファフナーに乗らないだろう。その呪わしいほどの接続は断ち切られた。美羽による、たったひとつのシンプルでやさしい言葉と包容によって。
 遠見真矢ファフナーを降りたのです。もう死神でもゴルゴンでもありません。
 ただの遠見真矢として、世界に再生したのです。


 これからの世界を、新しく生きて行く遠見真矢に、ささやかでもいい、たしかな幸運と祝福があるように、ただ、願います。



○それから……
 ファフナーを介した呪いと、ファフナーという殻から生まれる子供、というモチーフには「皆城総士」―「そうし」に通じるモチーフがあると思います。それが真矢にも掛かったと言えます。
 真壁一騎が無印15話で「自分を食らいながら・それでも自分を求めた結果」、マークザインとともに世界へ再生したときのように、常に機械の器・ファフナーは契機の司りとして、パイロットを生み出す器となる。
 ファフナーを介さなくとも人間は再生が出来ると思いますが、ファフナーこそが、本作がSFでなければならなかった要諦です。
  SFの特徴と恩恵である「想像力が生み出した新しい物による、新しい・人間の内面表現」をもたらすためには、真矢はファフナーと関わるしかなかった、と、本編を踏まえれば言うしかありませんし、たとえばファフナーに乗ることがなかった真矢が「蒼穹のファフナー」らしい、成長と浄化・極限状況下の試練と選択・傷の獲得と治癒、を得ることができたか。その風景と時間に到ることが出来たか、については、口をつぐむしかありません。それがないことに越したことはないと思いますが!
 
  「真矢は不憫」とは冲方丁の言葉ですが(by冲方サミット2016年10月25日)、それだけに、こうした記事を書くことによって、遠見真矢という人間の存在と祝福を祈るしかなく。そんな思いもあって、こうしてはじめて記事を書くことに導かれました。
 マークゴルゴという松本まりか嬢自身嫌がってるというネタと、Gorgonという本編に全く出てこないモチーフを利用することでしか真矢の救済を言語化できなかった自分ぼんくらすぎますねー。まあきっかけは何になるかわからないものです。
 ありがとうWikipedia! ありがとう集合知! ありがとうインターネッツのネタ! 
 ありがとう冲方丁! ふざけんな冲方丁! 続編期待していいのかわからんぞ冲方丁
 や、そのときは何卒よろしくお願いします。



 そんな感じで。ではでは。